孤嘯

『10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 その1』を読むために

10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 -PictorialConnect-元記事の一覧を軽く眺めて、正直10代にこれを読むのは苦しいだろうと感じたので副読本的なものでもいくつか紹介してみることにします。 もういちど読む山川世界史作者: 「世界の歴史」編集…

ジェンダーフリーとバックラッシュへの疑問

かなりどうでもいいのだが、先程のエントリを書いていて気になる点があった。書き捨て故議論への発展は避けたいのだが一応書いておく。ジェンダーフリー論者の論は「ジェンダーへの意識は自由であるべきだ」という内容であるはずなのに、何故「旧来のジェン…

自己との出会い

私が自分の意識を自覚したのは、確か5歳の頃でした。その頃の私は独り言を吐く癖が酷く、親から「もっと静かにしなさい」だとか「思ってることを何でも垂れ流すもんじゃありません」だとかよく叱られたものでした*1。余りに煩く叱られるので、気づけば独り言…

タイトル未定

結局のところポストモダンの先に何があるかといえば、形而上学の復活なのではなかろうか。私の適当な理解に拠れば、近代の哲学は「神は死んだ」*1と言い、ポストモダンは「理性は死んだ」*2と言いました。ではポストモダンの先では何が言われるだろう? 結論…

何処から何処までが私なのか

例えば今しがた切った爪は私の一部だったことになるのだけれど、それは今も私なのだろうか。例えば去年の私はわたしだった何かだけれど、それは私なのだろうか。例えば明日の私は今の私とかなり相関性は高そうだけれど、それは私なのだろうか。例えば今正に…

どーでもいいけど

今更感も漂うのですが、4/1のエープリルフールネタは最後の一行以外全て事実と言うか、「これは嘘だよ」という割とメタっぽい嘘でした。真相を知っていた知り合い約一名から「着想は良かったけど黒さが足りない」とのお叱りを受けたので黒めの追加記述。久々…

その嘆きには訴求力も価値もない

非常に残念なことに、大抵の嘆きには訴求力がありません。何故か。これは簡単なことです。多くの人にとって、他人の嘆きなんてものは基本的に時間的精神的リソースを割いてまで聞く価値のない代物だからです。何故価値がないかといえば、誰だって嘆きたいし…

いつか誰かに言われた一言

「お前は人生を生きていない。お前は皮相だけ眺めて向き合うのを放棄して理解した気になってるだけだ。」 相手は誰だったか忘れましたが*1、大昔にそんな事をいわれたことがあります。個人的に耳の痛い文句ベスト20くらいに入れても良いのですがそれはさてお…

人生の意味とか思わず検索しちゃう人へ

人生が無意味なら 社会に存在意味はあるのか?このBlog的には上記エントリが凄いヒットだったせいもあって最近でもたまに「人生 意味」とか「人生 無意味」とか言った検索ワードで訪問してくださる方がいらっしゃるようです。来て頂いて言うのも何なのですが…

一言メモ

自由意志は自由落下程度には自由である。つまり最低限度の制約以外を受けない意思のことであり、無限の自由度を持つ意思のことではない。

むかしがたり・中学編

幼い頃から私は奇矯な存在だったようで、10人に聞けば11人が変な奴だと回答する*1くらいには変な奴だったらしい。「らしい」と言うのは自分ではどの辺が奇妙に映るのか判然としなかったからで、試しに何故と聞くと10人居れば8人が雰囲気と答え、2人が判らな…

収穫を待ち望み、そして恐れる

正直、私は屈折してるのでしょう。何をやるにしても達成してしまうのが恐ろしいのです*1。やり遂げてしまって、願望が実現してしまうのが恐ろしいのです。恐らく、今の不遇を全て未達成の計画に帰着できなくなってしまうからなのでしょう。散らかった部屋、…

いろいろ間違ってる古典・それから

いろいろ間違ってる古典を書いた後で、「私一人が書いても読んだ古典に限りがあるよなぁ…」と思っていたら幸いにも便乗して下さる方が。感謝です。「いろいろ間違ってる古典のまねっこ」 - 真夏に悪い夢を見る竹取物語ってそう言えば死人でてたなぁ…そういえ…

いろいろ間違ってる古典

まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ。 等と言ったのは更級日記だったか。更級日記って何? って人はWikipediaの更級日記の項を参照のこと。引用文は筆者が伯母から源氏物語を与えられたときの伯母の言であり、「実用的なも…

でんぱをじゅしんしています

何か風邪が抜けきってないようで文章書こうとしてもゴミしか吐けません。論理構成が飛躍したり何言いたいのか判らないことを言い出したり。ある意味電波を受信している素敵な状態なのでできるならこの状態で文章を吐ききってしまいたいのだけれど。取り敢え…

神の正気は誰も担保しない。神すらも。

そもそも、神なんざやってて正気で居ることが既に狂気に含まれるかもしれない。神が正気でなくては困るけれど、正直神が正気であるかを知る術は無いと思う。神が正気で居て欲しいという願望も含めて、祈りは成り立っているのかもしれない。

哲学書への多分オーソドックスでない向かい方

哲学書を作者に合一するつもりで読めと主張する人が居るけれど、それでは哲学書に飲まれて溺れてしまうと思う。まぁ、作者に飲まれるつもりで読めという発言の成れの果てが哲学者学なのだろう。それはそれで有用なのだけれど。丁度作曲家の魂を憑依させる事…

初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。

タイトルは聖書からの引用。どうでも良いけれど、実はブックマークの無駄に長いタイトルはこれのラテン語文だったりする。それだけ。世界を認識でしか見ることの出来ない私たちにとって、言葉とは世界の構成要素の実体であり世界そのものだろう。語りえない…

狂気が欲しい

戯言。どちらかと言えば口語詩。タイトルで嫌な予感がした聡明な貴方は触れるべからず。変なもの移りますから。触れて後悔した方はご愁傷様。それではイタイ詩のはじまりはじまり。

狂気

そもそも狂気とは何者なのか、正気とは何者なのか。正気でいる ことは既に狂気の範疇にあったりはしないのか?興味は尽きない。尤も、死後の世界はあるのかといった質問のように、検証のしようも無い疑問ではあるのだが。

幻影に埋没してしまえ とか。

昨日の記事「いや、何で洗脳されちゃい拙いんだろう?」及び「結局は色塗り」を少し推し進めてみる。相変わらず読む人のことを全然考えてません。意味不明だと思ったら遠慮なく質問でも。個人が持つ世界へのメタ(意味だとか価値観だとか)を引き剥がすにはど…

いや、何で洗脳されちゃ拙いんだろう?

洗脳されたい訳ではないのだけど、試みに考えてみる。まぁ、そりゃ一般的に見て洗脳は目的を持って特定の集団が行うものであり、反社会的な目的に用いられるからor個人を破滅させる可能性が高いからor特定個人に多数の人間の生殺与奪が握られてしまうから と…

結局は色塗り

結局のところ、思想とは色塗りに相違ない。世界に意味を割り振り、自分に都合よく世界に解釈を上塗りしている行為に他ならない。色塗りしたり、塗り直したりは実用上大事だが、他人の塗った色に文句つけるのは本質的にも実用的にもあまり大事でない気がする…

ノイズの海

眠れないついでにちょっと独白。誰か聞いてやってくださいな と。どーでもいいですが、世の多くの人が言うところの「静かな部屋」は、私にとってノイズの海だったりします。比喩でも何でもなく、実際にそのような音がしているわけです。指向性の無い耳障りな…