議論と人間関係にまつわるエトセトラ

暗号ゲームと拡大解釈 -wHite caKe-

元エントリはお題はレイプ関連(と言うかセカンドレイプがメインと言うべきか)の男女間の意見対立。元エントリの筆者さんは「何で二元対立してしまうんだろう?」と疑問視されてるようですが、それは当然のことなのです。元エントリのような議論展開をしたら10のうち8か9は揉めるでしょう。

という訳で、男女間ではない問題で同じような揉め方をする議論を見てみましょう。私見は一応ありますが、それは後回しにします。多分そのほうが判りやすいと思いますし。

では、例を見ていきます。

後輩と雑談中に、後輩がふとこんな話をしてきました。
「先輩後輩間のパワーハラスメントって、問題だと思いません、先輩?

さて、貴方が先輩だとして、そんな話題を振られたら困るのではないでしょうか? ともすれば「先輩」側を擁護して話がヒートアップ なんて展開もありうるかと思います。少なくとも私は「何かあった?」と返すでしょう。

何故そうなるのでしょう? 「うん、先輩としては十分注意して気を配っていかないと駄目だよね、ホント」と何も感じないまま返すことが何故困難なのでしょう?

私なりの答えなのですが、それは発言の政治的な機能にあると判断しています。

ここで言う「政治的な機能」と言うのは、丁度お昼時に「お腹空いてない?」と聞くのが昼食の誘いの枕であるように、文脈から発言に何か相手に要求をしていることを暗示する用法のことを指すとします*1

さて、そこで先程の先輩後輩間のパワーハラスメントの問題提起では、普段そんな問題提起がなされない場で唐突に「先輩後輩間のパワーハラスメント」が「後輩から先輩に」問題提起された訳です。
しかも、この問題提起は一見公平に見えて実のところ一切公平ではありません。「パワーハラスメントは由々しき問題だ」という題目は、題目に沿って議論するなら回答は「Yes」以外ほぼあり得ません。これは政治的な機能として、「当然それは同意してくれるよね?」という意味合いが暗示的に含まれているからに他なりません。

再び些か脱線しますが、このような偏った問題提起は、ディベートとかでは禁じ手にされる事も多いのです。例えば、「死者の尊厳を踏みにじる臓器移植は許されるか?」等のように、議題そのものに価値判断を含むものは公平性のある議論が成立しにくいのです*2。というのも、この議題自体が政治的な機能として「臓器移植は死者の尊厳を踏みにじる行為であることは周知に違いないし、それは了解すべきだ」という発言を含んでいるからに他なりません。

そんな議題で議論やれば感情的な非本質的な対立をするか、中立性のない一方をひたすら賛美する議論になりがちなのです。

さて、話を戻しましょう。ここで先程の議題*3を悪意のある見方をすれば、私たち*4先輩側は、政治的な機能を考えれば「問題の加害者側として」「偏った議題を元に」議論に参加しろと言われているのです。好意的な反応は難しいでしょう。

何しろそんな内容をもし仮にそのまま言ったとすれば「お前を犯罪者と見なして尋問するから、それに相応しい回答をするように」と受け取るか、「酷い話だよな。この内容に黙って同意してくれ」と受け取るか、ではないでしょうか? 私ならそう判断します。もし語調がきつければ、更に悪意のある解釈として「いいからお前は犯罪者として自己批判をさっさと開始しろ」とか、「私はお前を断罪しに来たのだ。さあ許しを請え」という意図の下発言しているのだと判断してしまうでしょう。

その上で議論を進めたとして、実りのある議論が得られるとは私には思えないのです。寧ろ人間関係を容易に破壊してしまうことは想像に難くないでしょう。

では、大枠に戻しまして男女間の交際とレイプについて語ることにしましょう。

当該記事の問題点は「誰もが被害者になりうる」と言いつつ、「自分の側が被害に遭うこと」しか殆ど語ってないのです。例えば確かに、レイプ等では女性は殆ど被害者です。加害者になることはほぼないでしょう。だからと言って、悪意のある誇張をしてしまえば「お前らは潜在的な犯罪者なんだ、自己批判して慙愧の涙を流して自己批判しやがれ」と言わんばかりのスタイルで「誰もが加害者になりうるのです」なんて言っても説得力は皆無なのです。

適切な例かは不明ですが、例えば痴漢の冤罪などは女性側が加害者になることもあるでしょう。私はそんな欲に駆られたことはしない? 男性側も同じことを主張しました。

また、他人事だという証左として挙げられたアメリカの陪審員制度については、アメリカはキリスト教に基づいたやや保守的な価値観が根強いことも忘れてはなりません。私の記憶にある範囲では、レイプされようが姦通と見なす という価値観だったかと思います。もっと酷い*5例だと、イスラム圏ではレイプされようと姦通罪が適用されます。それは女性が他人事だと思う例と言うよりは、女性に不利な価値観が蔓延している例なのです。そんな価値観に立ち向かわないなんて…やはり他人事だと思ってるんだ! と言うのであれば別ですが。

今何処かで泣いている女性のことを考えなくてはいけない。確かにそれはそうです。でもそれを今そこにいる男性に向かって考えろと言うのは困ったものです。詳しい説明なしには、きっと今そこにいる男性は身に覚えのない罪で潜在的な犯罪者として糾弾されていると思ってしまうことでしょう。

他方、恋愛ごとというのは難しいもので、恋仲と言えば聞こえは良いのですが相手に勝手に要求を請い合う仲であることも否めません。勝手に要求して勝手に幻滅したりすることも多いですし、直接的に言えば「そんなこと恥ずかしいから一々言うな空気で察しろ」ということもあるでしょう。

今回の話題に合わせるなら、男性側が女性側に性交渉を勝手に期待していたり、女性側が男性側が性交渉を持ちかけてこないことを勝手に期待していたりします。そしてその期待が裏切られると、相手が悪いと非難したり関係を解消したりする訳です。

勿論悪いのは、要求を一方的に相手を踏みにじる形で達成することです。それは確かです。

ただ、恋愛なんて綺麗なお題目並べてすらも、人間相手のことを何一つ考えてない瞬間は確かにあるなぁ…などと思ってしまうのです。議論だってそうです。相手と対等に議論しようとしている風が、よくよく考えてみたら相手を論破したいだけだった なんてことだってあるかと思います。もしかしたらこのエントリもそうなのかもしれません。

笑ってはいけない! 今死のうとしている人が居るんだ! いつだって涙流して悲んでなくちゃいけない!! とか言われても困りませんか? 私は困ります。私の見知らぬ人のために、私は涙できるほど親切でもないし、目先の幸福であったり愉快な出来事のほうに目が行ってしまう近視眼的で愚かな人間なのです。

少なくとも私はそんな悪徳に塗れて生きてます。見知らぬ誰かの不幸なんて知ったことかと人知れず嘯いて、今日も適当に見たことない誰かの不幸のを踏み台に、それより些細な不幸に躓いて「まったく今日も不幸だったらありゃしない」と口からおぞましい何かを垂れ流しながら生きているのです。

*1:言語論的とか意味論的に正しい用語なのかは知らないので、この場ではこう使う と了解してもらいたい。

*2:無論、一例であって私の臓器移植に関する価値判断とは無関係であることを念のため申し添えておきます。

*3:パワーハラスメントは問題ですよね という議題

*4:今回はそういう設定だと思ってください。貴方/貴女が実際に先輩かどうかは関係ありません。

*5:勿論、私たちの価値観から見て「酷い」と言っているのを忘れてはならない