ジェンダーフリーとバックラッシュへの疑問

かなりどうでもいいのだが、先程のエントリを書いていて気になる点があった。書き捨て故議論への発展は避けたいのだが一応書いておく。

ジェンダーフリー論者の論は「ジェンダーへの意識は自由であるべきだ」という内容であるはずなのに、何故「旧来のジェンダーの感覚を守るべき」という主張の自由について「バックラッシュ」などと名付けて攻撃しているのだろうか? 「バイアスから自由になった結果、旧来の感覚が妥当だ」という結論に至ったと考えるべきではないのだろうか?

言論の自由とそれに付帯する権利とは、何処かの誰かが「お前の言うことは気に入らないが、お前が言いたいことを言う権利は命懸けでも守る」と言っていたような物であるのが本義であるのだが、性に関する言論の自由を唱えているはずのジェンダーフリーな皆様は、バックラッシュ的な発言をしている人間の発言権を守ろうと言う感覚がないように思える。

なんとも不思議な話である。