想定の範囲内の想定外事項

先日、SNMRさんのエントリへの批判記事を掲載した時に薄々「文意を誤解した感情任せの非難をされるだろうな」と思っていた*1のですが、添削さんのコメントを頂いたりyuki1976_2さんのトラックバック記事を頂いたりしてそれが現実のものとなりました。

yuki1976_2さんの記事の壮絶な罵倒具合以外は割と想定範囲内でした。

添削の方のコメントには対応済みなので、yuki1976_2さんの記事に対応しておこうと思います。割と大真面目に。

感性が激しく異なる他人に、いちいちその場で異議申し立てするほどの情熱なんて人はそうそう持てないわけだ。「嫌だなー」と思いながら耐えるわけだ。

だから不満も募るわけだ。で、その場じゃ言う気にならない不満をブログで綴ることになるのである。ね。「政治に不満があるなら、政治家になったらどうなのだろう?内心に非難を飲み込んだままやり過ごしたとすれば、異議申し立ては果たして正当性を担保されうるのだろうか?」極端なことを言えば、これと一緒。

前半に関しては否定しません。と言うより概ね私でもそうします。不満が募るのも否定しません。しかし、だからと言って怒りに任せて相手を罵倒して良いわけではない と思います。相手を罵倒するのが許されるのは精々その当人が居るところまでだと思うのです。

では異議申し立てをしてはいけないか と言えばそうではないと思います。そもそも異議申し立てを認めないのであれば、先日の記事自体が自己矛盾ですから*2。罵倒するフェーズは店の中で終わりで、Blogを書く時には皆に共感してもらうべくアピールするフェーズじゃないのか? と言う事です。

『たとえば、不快感を喚起させたものがシャッターの音ではなく、隣の客の不器用なテーブルマナーであったらどうだろう? ナイフをガチャガチャとしすぎる とか、スープを音を立てて啜っていた とか、間違い塗れの薀蓄をととうとうと垂れ流していた とか、ワインの飲み方がなってない とかであっても同意できるだろうか?』

リンク先のブロガーはなにがなんでも自己正当化したいらしく、大真面目にバカなことを書きまくっているわけだが、上の文章もただの難癖である。シャッター音やフラッシュと食事のマナーや蘊蓄は違う。後者は食事の場で計らずも起こってしまった、悲しいハプニングのようなものである。西洋のマナーに慣れ親しんでいない日本人がおぼつかない手つきでナイフをガチャガチャやることと、料理を撮影することを同列に語っても仕方がない。撮影は計らずもな行為ではない。レストランは食事の場であるのだから、その食事のマナーがなっていなくても、それは事故のようなものだ。

想定どおりの批判です。テーブルマナーが何だ と言われればそれまでです。寧ろ共感され難い物の例としてテーブルマナーに腹を立てる事を挙げているのであって、シャッター音云々も共感されない と言いたいのではありません。ただ、罵倒しているだけだと無関心な人に共感されるのは難しいし、反発心から反論されやすいので共感されたいならもっと言葉を控えめにして落ち着いて語った方が得策だろうと 言っているだけです。

まぁ、自己正当化云々を言うならばこのエントリ自体既に自己正当化なのでしょうけれど、先方のエントリも自己正当化に拘ってるのでお互い様だ と言って置きます。

『他者を無痛覚で断罪できるセンスが羨ましいと同時に、危うさを感じる』とかでこのエントリーは締めくくられているのだが、素で大真面目にバカなことを書いているおまえの方が、よほど危ういって話しだ。「だ。である」調でとうとうとくだらない自己正当化に精を出しやがって。

普段の文体と比較してもそうなのですが、あの文体は結構意図的にやってます。

「だ、である」調で高所から見下す風に偉そうに書いたのは、正にそのような反論を引き出す為の物です。流石に此処まで偉そうに批判されれば、私を批判する側の人は苛立つでしょう。と言うか、具体的に批判か非難かをしてくるだろうなと思いました。「この文読んでむかついたけれど、自分の批判はどうだろう?」とか考えて欲しかったからなのですが、後付で言ってしまえば何だか自己正当化の臭いがします。最早どうでも良いですが。

正直ここまで自分を省みずに相手を罵倒しつつ非難できるって凄いなと思うのですよ。羨ましいです。

*1:思って居たのに何故公開したのかについては、後述する。

*2:一応Blogに文句があるならBlog運営しろ と言う非難は一応回避できるけれど。