心が存在しないわけではない。存在の在り方が物質的でないだけだ。

結局昼頃に書いたエントリでは何も説明していないなと思い、追加で記述させていただきます。現実逃避とも言います。逃避し切れないのは解ってますから、書き終わり次第現実と戦いに行ってきますけど。…作業量が半端じゃないので洒落になってません。

さて、では心は何処に存在するのか?いや、どう存在するのか? いや、何処から生まれてくるのか?

まぁ、コンピュータに於けるソフトウェアみたいなもので実態は電荷の蓄積だったり、シナプスの配置形態から生み出される「動的な振る舞い」が心ないし意識の実体なのだろうと思います。ソフトウェアを見せろと言われても、私たちが見せることの出来るのはソフトウェアが動いた結果です。まぁ、ウィンドウとかで視覚化されているので「これがソフトウェアだ」と言う遁法も不案内な人相手なら通じそうなものですが。

まぁ、要するに視覚的に表現された時点で意識はもう意識としての実体を失ってしまっているので、振る舞いとしての意識は見ることが出来ない(言語化するためには静的な所作に置換する必要がある)。仕方が無いので、意識が存在すると言う為には神やら絶対の真理やらその他怪しげな論拠が必要になってくるわけです。

勿論これらの動的な振る舞いを還元論的に再構成することは不可能に近いですし、また有意義なことでないとも思います。意識は恐らく複雑系に所属するのでしょうから。