具体性のない何か
昔、恩師*1に「君は面白い議論をするけれど、物事の捉え方が皮相的で観念的過ぎる傾向があるね」と指摘された覚えがある。
何度も議論の場に立ったり、自分から議論を仕掛けたりしてきたのですが…相変わらずその傾向は直っていないようで。自問自答ですら「結局具体性ないね私」と、そんな感じであったり。
そんな自問自答の挙句、結局私は具体性のある話を語るのが苦手であったり興味がなかったりするのではなく、具体性というものの具体性が今一実感できていないのだろう と思います*2。
要するに、私にとって具体は具体で無いのでしょう。
結局具体的に現実的に生きてるつもりでも、世界を認識せずに生きる事なぞ不可能*3ですし、誰かがばら撒いたメタからは逃れられない*4ですし、自ら牢獄を作成してしまいがち*5なものですしね。
こう、何と言うか真剣に議論している人たちには申し訳ないのですが…あー、記号に踊らされてる*6なぁ と。
恩師の言に「踊らされるな、自ら踊れ」*7ってのがあったけれど、私は何とか踊らされないで居るものの踊りの輪に入るのが怖くてぼーっと眺めてるのだろう と。
休憩はそろそろこれくらいにして、拙いながらも踊りの輪に加われればな とか思ったり思わなかったり。
*1:中学高校と散々教師を馬鹿にしてきた私だが、一応恩師らしき先生は居る。まぁ、転勤になってしまってそれきりだが。よくもまぁあんな詰まらない議論に延々と付き合ってくれたものだ。感謝したいところである。
*2:勿論、理解力が今一なので具体的な喩えを必要とする局面は多いけれど。或いは議論と実体験を結びつけるのを忌避する傾向にあるのかもしれない。
*3:そもそも、それって生きているか不明な状態である。少なくとも意識が無い可能性が高い。
*4:流行とか世間体とか。関係ないが、世間体云々を否定的に言う人が流行に振り回されてるのを見ると笑えてしまう。問題の次元はおなじじゃないか と。
*5:偏見とか思い込みとか。ま、それ自体は判断時間の短縮に役立つ事も多いので否定しきれるものでもない。用法用量があるようなので各自指示書きを読んで欲しい。
*6:記号がその人を駆動している状態。悪く言えば何かに頭預けちゃった感じ。この状態では、記号は情報ではなく手段であり目的になっている。…という判断も実はそんな命題に頭預けちゃっているのでした。めでたしめでたし。
*7:そう言う意味では、確信犯でオタクやっている人とか最強だろう。尤も、そんな人が数居たらオタクの言葉のイメージは変わっていた筈である。