感覚風景

『10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 その1』を読むために

10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 -PictorialConnect-元記事の一覧を軽く眺めて、正直10代にこれを読むのは苦しいだろうと感じたので副読本的なものでもいくつか紹介してみることにします。 もういちど読む山川世界史作者: 「世界の歴史」編集…

議論と人間関係にまつわるエトセトラ

暗号ゲームと拡大解釈 -wHite caKe-元エントリはお題はレイプ関連(と言うかセカンドレイプがメインと言うべきか)の男女間の意見対立。元エントリの筆者さんは「何で二元対立してしまうんだろう?」と疑問視されてるようですが、それは当然のことなのです。元…

「自分の頭で考える」を考える

なんで皆、安易に普遍や絶対を求めるのかという そんな話になったおり、取りあえず保留を覚え 心に棚を作るって事は重要な話ですわなぁ・・・などと 私的・林檎もぎれビーム解題 -坊主めくり- 引用をひいときながら、まずは恐らく本題と違うことを語ってみま…

決定論者の戯言

回答者の内訳を見るとちょっと面白かったです。「しないと思う」割合は、男性より女性のほうが多く、また年齢が若いほど多くなる傾向が伺えます。俗っぽい見方をするなら、そういう人たちのほうが生きる上でより不自由さを感じているのかもしれません。逆に…

世界がここで閉じている

困ったときは他所からネタを持ってこよう、ということでみちアキさんのBlogから。当該記事はこちら。主な議論は二つで一つが「開闢の問い」、そしてもう一つが「意識の融合可能性」と認識しました。私的解釈ですが、両者に共通するテーマとして意識の一貫性…

人生に意味はあるか? について再考してみる

大昔に書いた人生無意味論及び社会無意味論を自分なりに総括してみる。とは言え、言うべき事は粗方言っているので補足説明になるのだろうかと思う。「人生に意味はあるか?」という問題を考えるとき、議論を紛糾させる原因になるのが「意味」という言葉の多…

もう仕方がないのでそれはゲームだ、政治だと言っておく

何故か11月になってから大昔の某記事がブックマーク追加されていた。何故今頃? と思いつつも、過去を振り返っておく。さて、当該記事を簡単にまとめると大体こんな感じです。 人生の意味について考えるのは実は無意味。なぜなら人生そのものに意味はない。 …

人生はまやかしだと思うんだけどなぁ…

google検索:人生はまやかし 未だにこんな昔の記事が参照されてるのか…と、妙な感慨に浸ってみる。人生は間違いなくまやかしだと思います。まやかしでない という人は、 人生はまやかしでない、というまやかし を無自覚無批判に受け入れてる可能性はあるなぁ…

人生は形容詞 だけれども…

世界を認識し、意味を規定する存在である自我が、自我自身に意味を規定できない(つまり既に他者により規定されていて、尚且つ変更権限が無い)なんて、どれだけ好意的で高尚な存在意味を定義されていても非常に絶望的だと思います。操作も受け付けず、交渉…

相変わらずのあれこれ

一時の名残か、生死観関連のキーワードでこのBlogまで到達してくる人たちが相変わらずちらほら居るようです。まぁ、関心に波があることはあっても廃れにくい話題ではあるので仕方のないことなのかもしれません。まぁ、こんな最果てのBlogとか見て得るものが…

「本当の」とは何なのだろう

本当に というフレーズは結構日常的に使われる(?)フレーズだと思いますが、案外その含意のあるものです。例えば 本当のことを教えて と言えば、話者は話題になってる内容が本当ではないのではないか と疑問を抱えていることになります。要するに話題の事項は…

形而上的何かへの回帰

結局いつか書いたとおり、一切の形而上の概念*1は人間が生み出した便宜上の存在に過ぎません。無論、だから価値が無いという訳ではなく*2、単純にそういう存在に過ぎないということです。我々は存在の根本からその恩恵に浸っているわけですし、それらなしに…

無彩色の風景

7月22日付「信仰の是非」への追記。私の数少ない信仰対象に、世界*1が世界のまま存在する というものがあります。世界はそれ自体の意味について考えないのであって*2、意味をベースに世界が存在するのではない と。まぁ、私達の脳内にある認識の世界は意味ベ…

信仰の是非

ま、科学は宗教のアンチとして持て囃された時代があったので科学原理主義*1を唱える人がいても仕方ありません。科学万能主義もそうですけれど、意味への信仰とか自由意志への信仰とか社会的善悪への信仰とか所謂社会的なお題目は今後も信仰され続けるでしょ…

酸素汚染

徹夜明けの変なテンションで垂れ流し続ける。 地球環境は酸素によって汚染され続けています。30億年前だかに登場した光合成生物は一貫して猛毒である酸素ガスを生産し、嫌気性生物を深海へと押しやってしまいました。*1かつて地球の主であった嫌気性生物はい…

箱庭を騙る何か

世界に踊らされている 世界と踊っている 等と言い出すと、必ず誰かはこう言います。 世界に躍らせてもらってるのだから世界に尽くせ 概ねそういうことを言う人の言う世界ってのは人間社会であったり人類であったり文明であったり地球であったり と、世界の恣…

自由意志は何処から来るのか?

考えてみれば自由意志ってのは変なものです。どう考えてみても自由ではないのです。例えば、以下の点で思考は外部的な圧迫に関わらず不自由です。 環境からの入力から逃れられない*1 思考本体以外の内部的な制約に引きずられる*2 何より思考媒体が言語で記号…

批判しておこう

ねこになりたい。 - 「何でもかんでも写真に撮りたがる無神経な人」正直思考が虐殺モードなまま人を批判すると非難どころか罵倒になりがちで危険なのだけれど言及してみたくなった。釣られてみるとも言う。まず第一点。正直、自身が人を貶すことに対して無神…

何かの為に生きるのも素敵だと思いますよ?

人生論語ろうと思ったのですが、昨日は風呂敷を広げるだけで終ってしまったので続きです。取り敢えず、表組再登場。 名称 機能 具体例 外部層 外界 世界そのもの 物理層 身体入出力 手足・視聴覚 感覚層 感覚の統合 視覚映像・音声 概念層 意味の付加 言語の…

生きる使命とか、あったら楽でしょうね

相変わらずアクセス解析でこのサイトへ到達した検索ワードを見ていると「生きる理由」とか「生きる目的」「使命」と言った検索ワードが多いようです。生きる意味とか全否定してるサイトに到達してしまって可哀相に と思わなくもないです。私も人生の意義とか…

自己埋葬。不幸な子供だったということにしたい。

そろそろ4年ほど前の話になるのですが、実は私1浪して第一志望に落ちてたりします*1。その時に何か散々「残念だったね」とか慰めの言葉を貰った覚えがあったのだけれど、内心勝手に勘違い満載の慰めをして自己満足しようとしている彼らとは別のところで愕然…

男女差ではないと思う何か。

女ってアレだね ああ、そうじゃなくて 女は共感は本当か 共感にも色々あると思う男女での相談事に求めているものの違いだとかそう言うものについての議論らしい。男でプログラムを書くような人種な割に、みんなの相談所になったり人に相談して「じゃ、○○すれ…

具体性のない何か

昔、恩師*1に「君は面白い議論をするけれど、物事の捉え方が皮相的で観念的過ぎる傾向があるね」と指摘された覚えがある。何度も議論の場に立ったり、自分から議論を仕掛けたりしてきたのですが…相変わらずその傾向は直っていないようで。自問自答ですら「結…

生死観

特に死にたいわけではないのですが、ちと精神的にむなしいものを感じたり感じなかったりな今であればそれなりなものが書けそうな気がしたので書いてみます。9月前に書いた「人生の意味だとか生きる理由だとか 」にても語ったのですが、私は生きることに本質…

過去の設問への解答

さて、復帰第一弾として8月26日付「人生の意味だとか生きる理由だとか」及び8月27日付「人生が無意味なら、社会に意味はあるか?」に一人突っ込みを入れてみようかと。後者で最後に半ば以上厭味の篭った皮肉として出した設問に関しては結局評価は頂いたもの…

無意味と言う用語選択について

27日付記事「人生が無意味なら 社会に存在意味はあるのか?」及び26日付記事「人生の意味だとか生きる理由だとか」にて語りきれて居なさそうな箇所を補足。「無意味」という単語の意味が広範であった為、不要な誤解を招いているのかなぁ…と思ったり思わなか…

人生が無意味なら 社会に存在意味はあるのか?

昨日の補足込みの続きです。人生の意味なんて本質的に存在しないと昨日断言してしまったのですが、些か誤解を孕みそうなので幾つか補正を。まず、physさんから同日のコメント欄にて、このようなコメントを頂きました(一部抜粋)。 自分がいろいろな偶然の重な…

人生の意味だとか生きる理由だとか

人生の意味とは 意義とは何だろう? 人が生きることの本質は何だろう と、そんなことを追及している人が結構居ますが、あれは何を考えているのだろう? とふとそんなことを考えてみました。敢えて言いますが、私としては人生に本来的な意味だとか生きるのに…

差別とは何ぞや と。

さて、plummetさんのBlogのコメント欄が凄いことになっていた模様。へー。投稿記事数に制限とかあったんだー、とか、そんなにコメントつくなんてうらやましいなぁ…、とかどうでもいいことはさて置いとくとして。差別とは何ぞや、等とどうでも良いことについ…

まとめ?

続きを書こうと思ったものの、意図不明な言説になってしまい纏め切れませんでした。 まぁ、要約してしまえば新聞記者なんてやってる人たちでも自分の目で見たものに対しては懐疑的になれず、自分が「見たもの」と自分が「見出したもの」に捕らわれてしまって…