動物化するらしいポストモダン

学校にて授業の合間に後輩*1が珍しくまじめそうな本を手にしていたので表紙を適当に覗いて適当に感想を聞く。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

いつだか昔に動物化なんて用語については触れた気がするのだけれど、それきりだったかと思う。肝心の中身だが、昔の物語の主流だった「大きな物語」は「小さな物語」に取って代わられたのが近代(モダン)までのお話で、最近はもうそれ通り越して物語は要素に解体されて物語要素のデータベースの参照世界になってんじゃないの? と、まぁそんな話だとは後輩の弁。

ま、この本に関しては程度の理解で良いとして、話を進めてみる。

大きな物語が流行らなくなったり小さな物語が解体され始めているのは、私のいつもの言葉を使うなら要するに麻薬が切れてしまったから と言うことに他ならない。

昔流行だった大義とか正義とかそういった麻薬の打ちすぎで耐性に苦しんだ連中が、新しい麻薬として個人主義とか自己実現とかそういった麻薬を持ち出した …までは良いけれど調子こいて濫用してたら効きが悪くなってしまって新しい麻薬を持ち出そうとしている ま、その程度の話なのです。

さて、新しい麻薬は記号そのものなのだとか。記号を参照すること、記号の体系を渉猟すること 参照している自分が麻薬 ということなのだろう。ま、ある意味本人の生存とかあり方とかから乖離したところにあるので耐性の出現しにくい麻薬なので協力なのだろう。所謂オタクな人たちが日々摂取している麻薬はこれだろう。

しかしその一方で、本人のあり方とかそういったところに悩んだときに何とかしてくれるお薬ではないのでその辺何ともならず昔ながらの処方に頼っていのた打ち回ってるオタクな皆様が山のようにいるのではなかろうか と。一方で新奇な麻薬に溺れながら旧来の恋愛だの受験だの就職だのそういった旧来の麻薬の嗜好するところで悩み放題なのはそれが根源なのではなかろうか と。

ま、そもそも麻薬切れな私にはどうでもいいのだけれど。ああ、誰か薬ください比喩的な意味で*2

*1:留年してるので1学年下の後輩とよく授業がかぶる

*2:もっと言えば、忘我に至れるだけの幻想をください ということなのかもしれない。どうでも良いが、比喩を比ゆと書くのは何だか許せない気がする。比べ喩えているのだから、変に平仮名にしては情報が欠落してしまいかねないので。