そう言えば院試が近い

院試まであと10日前後になりそろそろ追い込みと言うか結構切迫した状況が近づいています。

学部の試験も容赦なくあるので、その対策もしなくてはまずいような気がします。とは言え、毎度恒例の無力感と言うか力の入らなさは何なんだろう…。いや、正直当りはついてるのだけれど。

結局10年来の宿痾は健在なままで、私にとっては何処までも実相は非実相だった模様。最近よく使う言い回しを繰言のように使うなら相も変わらず禁断症状にのた打ち回っているのです。碌に麻薬の恩恵に与ったこともないのに。

愛だの友情だの夢だの希望だの生の実感だのと言った物を渇望しつつも結局信じられないのです。その辺幼年期に大概ぶち壊されて来てますから*1

無論私より悲惨な環境を生きてきた人も居るのは承知です。いや、承知だからこそ私は救われないのでしょう。要するにこの程度のことでは嘆いてはいけないのですから*2。成すべき事を成して、生産的にやっていくに当ってその程度のことはありがちで些細な障害に過ぎない、その程度のことなのですから。

結局のところ欲しかったのはそう言うありきたりな悩みにありきたりな感じで慰めが欲しかったらしいのだけれど…どうも丈夫に見えるらしいのか単なる甘えに見えるのか*3知らないのだけれど特に与えられたこともなく、かと言って逆にそう言う周囲を憎悪できるだけの材料があったかといわれればかつては兎も角今はそうでもなく、何とも足元の覚束無い状態にあるのが現在の私なのでしょう。

全く、面倒な時期に面倒なことを考えるものです。

*1:愛情は大概紐付き条件付きだったし、友情とかそれ以前に隔離されて生きてきてた訳だし、夢だの希望だのを謳うには確実な解以外許容されていなかったし、生の実感とか毎日頭痛なのでよい意味では体感していない。

*2:ま、そういう事言う人間に限って自分の些細な苦悩を理解することを強いてくることも多々あるわけだけれど。

*3:実際丈夫だったり甘え満載だったりするのかは最早私の知り得る所にはない。というか判断できない。