Blogとかキモいよね と言う話

日本語としてより妥当なのは「キモい」なのか「キモイ」なのかとかそんな事はさて置いといて。ついでに、有名Bloggerでも何でもない私があーだこーだ言っても仕方ない気はするのだけれどそれもさて置いといて。

私個人としてはBlog書いてる自分ってキモいと思いますか? と質問されたら、キモいですね確かにと回答するでしょう。まぁ、自覚があるので予防線目的で「まぁ」を連発したり断定調を避けたり無駄にですます体使ったりしてる訳ですが。

所詮戯言しか書いてないので有用性がある訳でもないので、正味私個人はこのBlogが誰かの何かのためになってるとは思いません。そんな訳で、いつ閉めたって構わないんですけれど今もだらだらと書いてます。一応自覚してるので見せられたものにならない程度には配慮はしています とは書いておきます。

公開してること自体がキモいと言われたら、その辺は宗教戦争ですねとしか言いようないです*1

まぁ、街で迷惑省みずギター弾いてる兄ちゃんくらいに遠巻きに眺めてくれたらそれで相互に面倒が無いので嬉しいです。本人真面目だからこそ成り立つ何かとかあると思いますし、ある程度の入れ込みは必要悪と言うか記事書くために必要な要素だと思います。煩いと言われたら多少なりに考えるので、是非とも言ってくださいな と。

キモいから止めろって話になってしまうとそれこそ「意味の無い人生を送ってる奴は死ね」とかそんな議論になってしまうので書く必要性がどーこうとかそんな話は止めておきましょう。

苦言を延々たれ流す人にはこう言う他ないですね。

だらだら苦言を垂れ流すだけって、気持ちいですよね。相手が苦々しくしかめつらく延々聞いてくれるとか最高ですよね。それと似たようなものなのですから適当に住み分けて行きましょうよ。

とまぁ、こんな感じですか。


ま、カラオケボックスで歌ってるつもりで歌ってたら公道のど真ん中だったって状況に近い感はあるので、ここは公道なんだからちょっと弁えてねってのは解らんでもないんですけど。

以上、「どーでもいいじゃん」的な回答をしてみたのですが、それだけだと何じゃそりゃって感じなのでダメな記事の擁護をしておきます。

一つ言える事は「有用なこと良いもの正しいものしか書いてはならない」なんて言い出したらBlogの参入障壁はどうしようもなく高くなってしまうという事です。気楽に参入できて気楽に書けて気楽にコメントできて気楽に皆に見せられるからこそBlogはこれだけ流行してるわけですから、そのメリットの一部が損なわれるのは望ましくないでしょう。

文章が下手な記事・内容がダメダメな記事・見当違いを書き連ねてる記事…そんなものが逆に「この程度のものでも公開していいんだ」とか「こんなんでも持て囃されうるんだ」とか閲覧者に思わせることで参入障壁を下げ、新規参入の敷居を下げたというのもある程度事実なんじゃないかと思います。

質の低下が激しすぎないか? と言われれば、それは裾野が広がったために質の高いものが埋もれてしまっているだけなのではないかと回答することにします*2

質の低下どうこうを嘆いても始まらないので、自分が質の高い記事を書くBloggerになるか質の高い記事を書くBloggerを称揚するかでもしてれば良いと思います。多分その方が何倍か生産的なので、生産的でなくてはならないと思う方はそうするのが宜しいかと。

喩えが変ですが、小説とか*3だと一本書こうと思うとある程度中二病的なところが必要なのですよ。没世界というかそれこそ世界から乖離してしまうくらいの勢いの何かがそれなりに必要になってきます。でなけりゃそんなもの世の中に公開できないし書こうとも思いませんから。

そんな訳で、Blog書く人間なんてぶっちゃけキモい要素と言うか自己顕示欲旺盛な要素を抱えてる訳ですから、Blogとはそもそもキモい人が書くものだと言えなくもなのではないかと。

そんなキモさを超越する程度には、Blog書くのは面白いなと個人的には思ってます。そんな訳で今日も「こんなこと言ってみたい」と「うわ、キモいなぁ」との間を行ったり来たりしています。

*1:そういう議論だと批判側はBlog使わずにやりとりする他無いと思うのだけれど実際どうなんだろう

*2:そもそも何を以って質が高いというかも不明なのでこの程度で保留。

*3:多分他の芸術的な何かでもそうなのだろうけど