タイトル未定

結局のところポストモダンの先に何があるかといえば、形而上学の復活なのではなかろうか。

私の適当な理解に拠れば、近代の哲学は「神は死んだ」*1と言い、ポストモダンは「理性は死んだ」*2と言いました。ではポストモダンの先では何が言われるだろう? 結論としては次の2つを考えてみた。

  1. 当然自由意志とかも死ぬべきだ
  2. ほら、主観は死ななかったでしょ

前者なら動物化の次は現象化だ、ということになるだろう。ただし、近代以降のシステムというか価値観が自由意志とかに立脚して成立しているので現象化せよなんて言った日には反社会的と言われても否定しきれないので多分流行はしないと思われる。正味中世での神の子羊的な何かを焼きなおした何かになる危険性も高いだろうし。

後者なら今後は結局主観こそが全てである的な独我論になって形而上に主観やら自我を置くっぽい思想になりそうではある。まぁ、主観を公開するツールがあたりまえのように存在する昨今では集合的な主観が形而上に置かれるのだろうけれど。こちらだと社会秩序に対して致命的な影響を与えないのでそれなりの支持は得られそうなのではないか。と言うかネットとかの趨勢はこっちなんだろうなぁ…とか。

個人的には前者の感覚しか持てないのだけれど、それは人格形成時に色々失敗があったからと言うべきなのだろうか。

以上、薬で回らない頭で特に吟味せずに適当に考えてみた。何かあれば吟味の材料に使うので申し立てください。

*1:西欧での近代哲学がキリスト教へのアンチテーゼから始まってるという理解はそれほど見当違いでもないと思われる

*2:理性至上主義やら科学万能主義が槍玉に上がった