多分連載 世界について(2)

算術師です。



更新が凄い勢いで滞ってしまって申し訳ありません。



完全復活したかと思いきや、実はまだ体が言うこと聞いてくれてません。此処数日凄く肩と腰が痛く、微熱を引きずってて思考以前に日常生活に支障が出てました。品質保持を口実に更新を放棄したことをお詫びいたします。



後日にでも人の都合無視して状況悪化させてくれた皆さんには軽く抗議をしておこうかと思っています。








お知らせ



gachapinfan
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2件目




何だか過分なお言葉を頂いている気がします。「近代社会利用者に100の質問」は100問は流石に多すぎ(ついでに言えば回答が難しい難問が多そうですし)として10問くらいなら面白いかもしれないなと、そう思ってみたりします。暇見て作ってみますかねぇ…。



SNMR
さんに1件のトラックバックを頂きました。(1件目




まぁ、トラックバックと言うより紹介したとの告知ですね。律儀な方です。まぁ、例の問題
に関してSNMR
さんとしてはもう解決済み(少なくとも関与すべきでない)と判断のご様子。何か批評される側になったりと大変みたいですね。








さて、お知らせは此処までにして本論を。



今回は人間の意識とか世界を認識することとかについて語ってみようかと思います。



例によってご意見ご感想ある方はコメント欄へお願いします。正直余りにコメント無い(その割に此処数日20人/日のアクセスがあったりする…このアクセス者数が多いのかは別問題ですが)のでちょっと不安なのですが、気にしても始まらないので座して待つことに。皆様気軽にコメントお願いします(こんな記事、気軽にコメントできねぇよと言うコメントも含めてお気軽に)。



私たちは意識を持っています。当たり前のことですが。何故ヒトという種が意識を持つようになったかは知りませんが、正直「意識なるものを獲得してみると実は便利だったのでそのまま採用された」って所なのではないかと思っています。何というか、入力と出力を繰り返して(その間に応答の最適化もしていくとして)たら気付けば意識が生まれていた、というのが実際なのだろう、と。



なら同じように入力と出力を最適化しながら繰り返す計算機システムがあったとすれば、自我を持つ人工知能が作れそうなものです。が、本当にそれで自我を持つ人工知能は作成可能か? と言う問いは回答するだけの知識と技術力が無いので保留させていただきたいと思います。正直凄く興味はあるのですが。



さて、そんな感じで何だかよくわからないけど発生してしまった意識がどのように世界を認識しているのか? これはこんな過程で実現されているのだと思います。まぁ、脳が逐次処理やってるとは思えないので微妙な区分ではありますが。



まず第一に感覚レベル。

感覚器からの信号を受け取ってデータ(?)にします。

第二に無意識レベル。

受け取ったデータを意味のある情報に加工します。例えば、机・椅子…とか物体の大まかな分類を掛けます。

これは不快・生理的に受けつけない、とか言う判断もこの辺でやってる気がします。

第三に意識レベル。

分類済みのデータに情報を追加加工します。例えば今読んでる文字の字面の読み取りは完全にこのレベルの担当ですね。



基本的にレベルが上がれば上がるだけ認識できる範囲は狭くなると思ってよいのですが、意外とサブリミナルとかが有効な辺り人間の無意識の処理能力は侮れない物なのかもしれません。



世界を眺めた結果作り出される「認識の世界」は、実は前回の記事
の地球シュミレータのシュミレーション結果のようにモデル化されている(まぁ、規模も精度も方向性も違いますが)のだと思います。だからボールが飛んでくるのに反応も出来ますし、普通の日常を問題なく(モデル化されてればそれについて考えなくてすむ)送れるのだとそう思います。思い込みやら常識やら知覚上の制約なんかでフィルタが掛かった制約されたものですが。



まぁ、制約が掛かるのを不自由だったりしますがその不自由無しでは処理追いつかないのも事実で難しい物です。








「自己組織化&自己集合」-ナノエレクトロニクス-


http://www.nanoelectronics.jp/kaitai/selfassemble/








2005 03 11 11:04の加筆修正

第18パラグラフ(世界を眺めた結果〜から始まるパラグラフ)にて誤字を訂正。

「遅れる」は「送れる」の誤記でした。








2005 03 11 11:10の追記



某映画では無いですが、感覚の入力が完全に狂ってたら世界を正しく認識できないだろうし、認識で不正なバイアス(この場合、どう不正なのかも問題だが)が掛かってしまうとやっぱり認識が上手くいかず、思考レベルで自己欺瞞してしまうとやはり妥当な認識を得ることが出来ない。



世界を認識するとは、実は何とも難しいことなのでしょう。