嘘について。

算術師です。



更新が激しく滞ってます。更新間隔がどんどん開いて行ってるのが申し訳ない限りです。



実家から下宿へ戻ってきた物の、掃除しないと結構拙そうな状況だったので掃除しました。

埃でアレルギーが来てしまうので、騙し騙しゆっくりと ではありますが。



そしてまだ風邪が治りきらず、ゲホゲホ言ってます。

日曜にはUSJ行く予定なのになぁ…。大丈夫でしょうか。誰か健康を私に下さい。








さて、今回取り上げる話題は前回予告通り嘘についてです。



嘘とは何か?



辞書的定義を持ち出すなら「真実ではないことを言うこと、記述すること」な訳ですがそんな事は正直判り切ってるので状況設定しながら考えてみたいと思います。



以下、問題設定に使う出来事(事実)はで記述し、嘘はで記述します。



さて、まず仮に

私は「キリンは魚の一種だ」と言った

とします。



さて、この発言をしたこと自体条件設定上本当です。これも所詮条件なので嘘な訳ですが、その辺を話し出すと今は収拾つかないので後回しです。



さて、この発言「キリンは魚の一種だ」は思いっきり嘘な可能性が高い(実際キリンと言う名前の魚が居るかも知れないですし。私が知らないだけで。)訳ですが、何に引き合わせてそれを判断するかと言えば皆さんの世界認識
であり、嘘かどうかを確認すると言うのは認識の上に作られた脳内世界と引き合わせている事に他なりません。



数学の証明や実験での確認(その他客観的と思われる確認方法)は脳内世界と引き合わせている訳ではない、と言う方もあるかもしれませんが、しかし結局それを正しいと認識してるのは結局脳内世界での話であり、入力が外部世界からの感覚だとしても、結局は脳内なのです。感覚が信頼できるか?はそれこそ回答できません。某映画
じゃないですけど、「真実を明らかにする薬」なんて物があれば話は変わりますが。まぁ、客観的事実と言うのは客観的なだけであって客観そのものでは無いということがお分かり頂ければ幸いです。



まぁ、要するに私達の嘘だ本当だと言うのは実は脳内世界(感覚からの入力フィードバック含む)との整合性があるか否かの問題で、実は正しさなんてのは共同幻想
とも言える(もっと言えば各人が共同幻想だと信じている)のかも知れません。だから、嘘のような事実に遭遇した時私たちはこう言うのでしょう。



嘘だろう?



と。

まぁ、大体の場合は感覚からのフィードバックで再構成された脳内世界と嘘のような事実とが一致するのでどうやら真実らしいとなる訳ですが、そうで無い場合はまぁ脳内世界の再構成を拒否して「それは嘘だ」と言うことになります。



まぁ、ガリレオ・ガリレイを宗教裁判に掛けた人らが好例だと思います。



…と、書いててこの考察ってカント『純粋理性批判』の劣化版焼き直しじゃないかと気付いてしまってショックです。

中々昔の人は凄いことを考えている物です。勉強も兼ねて哲学書を本気で読み直すべきかも知れません。



さて、と。








追補



話が前後している上に複数話題を一気に取り上げる愚を冒してしまいますが、関連性があるので10の質問
の問8「数理矛盾」について考えたいと思います。



「この文章は嘘である」と書かれた紙がある。



これは設定なので設問側からは事実としますとしか言えません。



お手元に紙のある方は紙に「この文章は嘘である」と書いて事実にして頂くか、想像の中にでも「この文章は嘘である」と書いた紙を用意して検討してください。



さて、「この文章は嘘である」の「この文章」とは即ち「この文章は嘘である」という文章です(以下、幾らでも同形反復できるので省略)。

まぁ、丁度「私は正常である」と言うようなもので「この文」自体にはこの文が正しいかどうかを確認する術がありません。using_presureさん
が回答で一言「決定不能です」
と仰っていましたが正にそんな感じですね。



が、然し敢えて嘘か本当かを決定したいと思います。



嘘であるという仮定をしても結局この文は正しいと言うことになります。

しかし、嘘であるかどうかを決定出来ないと言うことは事実を述べてはいないので嘘を述べており、この文は事実である。(まぁ、嘘を事実以外を記述することと定義すればですが。)

と言う訳で私はこの文自身は正しいことを述べていると判断します。






2005 04 25 9:48 の加筆修正



wikipediaのページアドレスが文字化けする模様なので、ページアドレスを修正