冷静になる為に考えること(劇薬入り)

算術師です。



朝一に軽く外を走ってきました。

思ったより軽く動いてくれる体に感動しつつ30分走って歩いてを繰り返してきました。 何だか久しぶりにかなり良い状態です。この調子で上向いて行ってくれると有難いなぁと、そう思います。







さて。

15日の記事「非難について 補足」にdemianさん
からコメントを頂きました。



demianさんのコメントについては当該記事のコメント欄を見て頂くとして、興味深い問題提起を頂きました。 今回はそれについて考察して行きたいと思います。







非難について 補足」では結局のところもっと冷静になろうよ、みんなと言う趣旨だったわけですが、ではどうやって冷静さを保つのか?或いはもっと踏み込んでどうやって冷静な状態になるかについては放置したままでした(冷静になれば解決すると言うよりは、寧ろ冷静になれないから問題は悪化するのだと言うべきなのかも知れません)。



ではどうやって冷静になるか。そして冷静なままで居るか。私なりに書いていこうと思います。







冷静になれない状態(激昂すると言う意味で)とは、往々にして自分の期待を裏切られた時、自分の欲求が満たされなかった時です。



何で○○でないんだ!! ■■は××でなければならないのに!! と定型化できる心情ですね。



自我が拡大している状態であるとも言えます。

こんな状態で冷静であるには、自分が内心何を期待しているのかをしっかり見極めて自問自答を続けることが重要だろうと思います。必要なら、期待を諦めることも大切でしょう。



要は我に返れ と。



言ってしまえばそれだけです。



とは言え、それだけで終わってしまってはアレなので自分が冷静さを失いそうなときに自分に吹っかける劇薬入りの冷水でも置いておこうと思います。冷静な時に読んで、自戒の一助にしていただければ幸いです。冷静でない時に読むとやはり劇薬なので有害だと思われます。







自分語りなBlogを書いている皆さん。自分の主張を書き込みしている皆さん。そして私自身に敢えて言います。



貴方は10中9くらいの確率で

普通の人より自己顕示欲が強めの人間か、自己満足の塊な人間です



何故Blogをつけるのか。何故Blogに書き込みをするのか。これは要するに誰かに認知されたい、反応されたいという欲求を抱えていることに他なりません。



わざわざ人目に残る形で公開される場所に、自ら労力を支払ってまで書き込んでいるのです。対価は何か。自己顕示欲が満たされた満足感だったり、他者から称揚だったり、議論が行えたことに対する満足感だったりします。



まず、その時点でもう少なからず冷静で無いことを自覚してください。何がしかの形で満足感を得たいと言う欲求が内心あるので、既に書き込みの時点で批判や無視に対して敏感になっているのです。 批判されれば充足感が損われ、不快感が増します。



となれば攻撃的になってしまうのは必定でしょう。



では、この状態で満足感を得つつ冷静で居るにはどうすれば良いのか。個人個人が、副次的にとは言えそう言う欲求を満たす為に書き込みしていることを把握する事が第一では無いかと思います。



要するに、同形反復ですが自分の内なる思惑をきちんと認識しておくことが大事なのだと、そう言うことです。 私は自己満足で書いている、と認識できているなら…かなりの精度で自分を相対化してみることが出来る筈です。



さて、書き込む段階で冷静さを失っている場合はこれで良いのですが、罵倒とか非難とか批評と言ったレスポンスに対して冷静でなくなってしまう場合も往々にして有ります。



この場合、原因はこんな感じでは無いでしょうか?



・批判されるのが不快

・批判の語り口が不快

・批判ではなく非難

・罵倒になっている



更に、敢えて言い続けます。無論偉そうなのには理由がありますので、それについては後述します。



まず、批判されるのが不快で取り乱してしまう人へ。意見を何か言う時、万雷の拍手にて受け入れられて然るべきとか思っていてはないでしょうか? そうなら貴方は、オープンな形での議論に向いていません。貴方にとって不快な雑音を排除して、気の合う人たちだけで議論を推し進めるべきだと思います。無論批判に対して無批判に受け入れろとは言いませんが、批判が発生すること自体は受け入れるべきです。一旦落ち着いて批判内容を吟味してください。



次に語り口が不快で取り乱してしまう人へ。意見を言う時、貴方は常に相手から敬意を受けて当然だとか思っていませんか? そんな貴方は、議論なんてせずに猿山で講釈でも垂れててください。言ってしまえば貴方にとって必要なのは論客ではなく、取り巻きです。相手に礼儀を求める以前に、自分は相手に払うべき敬意を払っているでしょうか? 単純に言い回しの趣味の差であって、比例を働こうと言う意図は無いかもしれません。その事を吟味してください。吟味した上で、相手への態度を決定してください。



相手が罵倒目的なら、それも仕方ありません。誰の目からみても罵倒であるなら、応援を呼ぶか何なりして外部の支援を受けてください。誰の目から見ても罵倒なら ですが。そうでなければ貴方は被害妄想入っている可能性が高いです。貴方はそれ程特別な存在でも何でもありません。貴方に向けられる悪意の原因は、大体の場合あなた自身にあります。



この3者に共通して問いかけたいのは次の質問です。



議論自体、或いは議論の相手の行動に自分勝手な期待をして、その上で「裏切られた」だとか「失礼だ」だとか「下らない」とか言い募ろうとしてはいませんか? そんな自分勝手な不満をこぼしていい気なってる貴方は何様ですか?



以上です。



萎縮せよとは言いませんが、大体の場合、貴方は自分が思っているより聡明でも偉大でも一目置かれて悪意の対象になってもいません。まずそれを認識するべきです。

もう少し議論に対して、論敵に対して、真摯であるべきだと思います。





さて、上記の文章、読んで不快に思われる方も多いと思います。



ですが、敢えてこのような文章にしたのは自分の中にそう言う自分が見ても人が見ても不快な傾向が無いか? と自問自答して欲しかったからです。もっと言えば、極端な例を反面教師として挙げているつもりです。



自己を一旦こう言う形で突き放してみて、相対化してみれば実は下らないことで取り乱していたと認識できるかもしれません。



兎も角、冷静になるには自分が冷静である、正当であるという考えを一旦放棄して自分は周囲に過大な期待をしているので無いかと自問自答するべきではないのかと、そう思います。