ネット上の調停というか鎮火作業について考える

SNMRさんの所にて、ネット上の紛争の収拾について考察者を募集する記事が掲載されていたので、取り敢えず考察者として名乗りを上げておこうと思います。

考えようと思ったものの、非難食らう当事者と批判者諸氏についての言及は過去にも同じことを散々考えていたのでパス。具体的には以下を参照願うこととして、今回は調停者ないし擁護者について話を進めることとします。

批判する人向け

非難される人向け


共通向け

以上、まずは冷静でない自分を認識することから初めて冷静になろう というのが上記の記事の共通した趣旨です。

さて、それはさて置きまして。
調停する人間がすべきことは、大体次の通りだと思われます。

  1. 双方に落ち着くよう呼びかける
  2. 双方の主張と要求を整理する
  3. 整理した上で、状況分析を述べる
  4. 調停案を提案する

まぁ、どうにもならないくらい普通の調停作業です。双方に落ち着くよう促し、一体何が言いたいのか整理して、お互いへの要求を明確にする。で、纏めてそれなりに妥当な妥協案を提案する。…まぁ、喧嘩の仲裁と余り変わりません。

それだけに、気をつけるべきことも普通の仲裁と変わらないでしょう。
簡単にリスト化すると、気をつけるべきは以下の通りです。

  1. 冷静さを保つ
  2. 両者の主張をちゃんと聞いてやる
  3. 両者の主張を認めさせる
  4. 過剰な要求を放置しない
  5. 見下さない

調停者が一緒になって取り乱しちゃ元も子もないです。自分が冷静でないと感じたら他の人に調停役を委譲するのも手だと思います。

また、不公平感の無い様に取り計らう為に出来るだけ双方の意見を汲み取ってやった方が良いでしょう。但し、「お前は結局何が言いたいんだ? オイ」と喧嘩腰では新たな紛争の元になってしまうので冷静で丁寧な態度を心がけましょう。そして、意見を汲み取ったら双方に意見の確認も含めて論点を整理させて納得してもらうべきです。

尤も、思想系の議論が出発点だとそれも難しいのですが、相互の思想が異なることを認めた上で、出来る議論とは何かを模索するのも手段の一つかもしれません。と言うか、思想が違うだけで大喧嘩なんて大人気ないことしてるようでは思想を語るのは難しいと説くのも便法だと思います。

炎上している状態では両者ヒートアップしてお互いに過剰な要求を突きつけあっていることも多々あるので、お互いに行き過ぎであることを自覚させた上で撤回するように仕向けることも大事です。突きつけた本人が通らないと思っているような過剰で過激な要求は、過激すぎるんじゃないかと促せばある程度撤回されうるでしょう。

最後に、冷静でない人・取り乱している人は他人の悪意・嘲笑に敏感かつ過敏に反応するので折角の調停が元の木阿弥と化す可能性が高いので、悪意のある態度や見下すような態度を取るくらいなら調停なんてすべきではありません。そんな事をしては調停者と言うより自己満足の為に説教垂れ流したむかつく奴に双方からカテゴライズされかねません。

まぁ、何にせよ調停を行うのには途方も無い労力が必要です。

正直博愛主義でもないと出来る代物ではありませんし、私は巡回しているわけでもお世話になった訳でもないサイトの管理者を擁護したいとは思いません。非常に面倒で、事態を整理したからと言ってかなりのケースで当事者から感謝されるわけでもなく(状況収拾に参加しても勝手にしゃしゃり出て勝手に纏めて仕切ったと見られる(確かにそうではあるが)ので、感謝の対象にはなりにくい)、ともすれば罵倒されかねないわけですから。こんな報われない作業誰がやるのだろう? と思います。

結局それを行いうるのは信者ないし近しい人間だけだと、そう思います。

正直ネットでの言論に歯止めが利かないのは、この面倒な作業を回避しようと思えばいくらでも回避できるからと言うのもあるでしょう。現実には人間関係が固定的なので、人間関係の悪化は直接的に回避不能な個人へのダメージとなりえますから、調停を行わなくてはならない動機付けの一端となり得るのでしょう。


■追記■


誤解されがちですが、議論を収拾させるのに最も必要な能力は論理構成力と言うよりはバランス感覚であり説得力・納得力であると思います。紛争に発展している時点で、既に論理性はある程度割り引かれている訳ですから。

いくら議論が優れていても、攻撃的だったり神経逆なでする内容だったりでは誰も耳を傾けないでしょう。それでは意味が無いのです。両者に納得してもらって矛を収めてもらうことが大事なのです。両親の喧嘩を子供が泣いて止めるみたいに、論理的な一貫性よりも両者の納得が事態の収拾に貢献するのですから。

まぁ、Blogを含めたネット上での言論の場を考えた場合、説得力のある程度の由来成分はやはり論理の構成力にあることは否めないのですが。

多分大事な一言:
「汝らのうち罪なき者、まず石もてこの女を打て」