箱庭へようこそ

酒の入った頭でだらだらと。

みちアキさん人生はゲームであることを忘れていたい人たち関連のエントリでのみちアキさんとfromdusktildawnさんとのやりとりをぼーっと眺めてて思ったことをつらつらと。

正直、人生をゲームに戯画化するのは人生上での推奨要素ではありません。例えばゲームやってる最中に「俺、延々ゲームやってていいのかな…明日あるのに」とか考えるとゲームが楽しめなくなりますから。収支に1以下の値を掛けるってのはあながち間違いではないかもしれません。

正味、何考えてても「私はそれを考えたのではなくて、考えさせられたのではないのか? 考えてるとかそもそも幻想なんじゃないのか?」とか日常的に思い始めてる私とかかなり小さな値を収支決算に掛けてるのではないかな とか思わなくもありません。

fromdusktildawnさんは、人生での努力が報われない、或いは人生がゲームなら何故努力しないんだとか批判していますが、それは間違いです。人生では努力が線形でない上に目標の具体化手段と目標の設定方法が見えない為に努力を放棄する人が多いだけのことなのです*1

そんな訳で労苦を準線形にしたり、低減したりする目的で数多のHowTo本が世に売り出されたりする訳です。

正直、このゲームの勝者(?)*2はこのゲームのメタ性に意識を向けない人たち…つまりはゲームに埋没しちゃってる人たちであることは間違いないでしょう。要はゲームの攻略法を知ってて実践できる人たちですね。このゲーム、制限時間が結構シビアなので躊躇ってたらもうゲームオーバーです。

まーでも、ネタバレしてしまうとこれ、実はゲームですらないんですよ。私たちがゲームだ人生だと勝手に思い込んでるだけなんです。ですから人生は人生と思い込むのもゲームと解釈するのも勝手です。敢えて言うなら個人的には広義のゲームなのだろうな と思います*3。無論、敢えて言えばであって、人生って何? と言われれば数式の日付タイトルみたいに数式の演算過程(巨大な数式の小さな部分項 という方が正確かもしれない。

例えば私が死んでもきっとこの世界にたいした影響はないでしょう。正直死んだ後なんてどうしようもないので興味ないですが。もっと言えば、視点を大きくしていけばどんな偉人が死んだところで世界は変わりません。地球の大気の組成が大幅に変動したり、太陽系の重力バランスが変わったりはしないのです*4

多分世界は世界として厳然と存在し、人間はその上で適当に踊らされてるだけなのです*5。自ら踊ってると思って踊っていても、踊らされてることに思い至っても、踊らされていることに目を瞑ったとしても、今後も踊らされること自体は不可避なのです。

私たちは何処まで行ってもこの世界という箱庭から逃れられないのですから。

正直、人生がゲームであるか人生が人生そのものであるかなんて話はコップに半分残った水を見て「まだ半分ある」と見るか「もう半分しかない」と見るかって位の差なのです。正直、どちらが人生を豊かにするかは知りません。前者の方が声高に主張されるので、もっともらしく思えるだけなのだと思います。

*1:要するに、このゲームは何やったらいいか解らないゲームであり、多くの人にとってなんか労苦が報われる気がしないゲームである ということ。場合によってはクソゲー呼ばわりされるゲームなんじゃなかろうか。

*2:ここでは一般的な意味での成功者ってことにしておきたい

*3:囚人のジレンマゲームとかのゲームのこと。評価関数が何処行ってるのか不明なのだけれど。

*4:まぁ、今後ないとは言わないけれど。要するに人間の影響力なんて人間の手が届く範囲内であって世界はそれ以上に広大であることがこの場では言いたいだけ。手の届く範囲が世界の全てだという人は背後から刺されても気合でなかったことにしましょう。

*5:シュレディンガーの猫とか、正味欺瞞もいいところだと思う。観測されない世界は既知でないだけで厳然と存在する と私は信仰している。「未確定なんだ、まだだ未確定なんだ」って態度はゲームに於いて未確定状態に過度の期待を織り込みやすいので概ね危険である。