とある法則。

人間は、今の自分を肯定してくれる人間に好感を持ちやすい

ま、良くある話です。落ち込んでるときに励まされれば好意を抱くのはこれの最たるものです。

え? お追従は嫌われるんじゃないの? って反論もありそうですが、それは御尤も。お追従が嫌われるのはそれが発覚するときです。発覚してしまったお追従は、その人の肯定する意図が疑われます。誠実に遇されている風に見えないということは否定の一変形です。よって好感を失いやすいのです。

是は是、非は非の方が良いんじゃないの? って反論もありますが、何てことはありません。肯定されるべきは今の私であって糾弾される前の私であったり糾弾されてる最中の自分ではないのです。帳尻合ってればそれでいいのですが、その為には最終的に糾弾側は相手を否定しない必要があります。自分が糾弾されたくないが為に「お前のためを思って」とか言い訳がましくなると、フォローのなさ故に自己の肯定否定とは無関係のところで話を進めている人 に映ります。これでは嫌悪対象ですね。

とは言え、相手の中身が完全に見えるわけでもないのでそんな経験則知ったところで使い道ないのですが。