むかしがたり・中学編

幼い頃から私は奇矯な存在だったようで、10人に聞けば11人が変な奴だと回答する*1くらいには変な奴だったらしい。「らしい」と言うのは自分ではどの辺が奇妙に映るのか判然としなかったからで、試しに何故と聞くと10人居れば8人が雰囲気と答え、2人が判らないと答えるくらい判然としない根拠に基づくものだったようだけれど。その割には皆が変だと答えるのだから不思議なものだった。

そんなよくわからない理由で「変人」にカテゴライズされてしまったのが先なのか、隔離され始めたのが先なのか…判然としないものの隔離されて生きてきました。

そんな隔離生活が一番酷かったのが中学生の頃でした。

学校の休憩時間に教室を抜け出すと人でいっぱいの廊下*2の中央から人が居なくなるくらいには周囲と隔絶した生き物でした。因みにその頃行ってた塾でも同じような状況*3だったので即日辞めたりもしました。あと、妹からは「お前の妹ってだけで変な目で見られるから関わらないで」と言われる始末*4。まぁ、その頃からそれなりに家族とも疎遠だった訳ですが。

そんな環境なので孤立する訳で、正直数名友人が居ただけでした。当時は割と優秀だったので卑屈になる要素も少なかったのが幸いしていました。取り敢えず面倒な輩は寄るな愚民と言わんばかりの態度で排除してました。お陰で人の神経を逆撫でする演出だけは巧くなりました。これが状況悪化させてると思しきことは解ってはいたのですが…正直ではこんな下らない事で人を排除してくる人間とお近づきになったところで何になる というのもありましたし。

家に帰ったら帰ったで、母親は弟妹にべったり*5話題も合わない状態で、父親はすぐ殴る*6わ割と無茶目な要求ばかりする*7わ批判ばかりで賞賛の言葉は一つもないわで正直疲れ果てる感じでした。一人で部屋に居るのが一番無難でしたが…癒しとかではなかったですね。「こんな下らない事やってんのかよ」と冗談でも言われるのが嫌で*8読書以外の趣味らしい趣味もろくに作らなかったのでよく寝てました。非常に不健康だったと思います。

今思い出しても良い思いでとかでは全然なくて、二度と体感したくない類の時期だったと思います。

*1:因みに11人目は質問してる当人

*2:他の組の教室には入ってはいけないとかいう規則があったので、休憩時間に組が違う友人と話をするときなどは廊下に集まっていたようだ。1学年200人そこら居た所為もあって、廊下は人であふれかえっていた。

*3:こちらは人2人が通れるくらいの狭い幅の廊下だった。何故か廊下で喋るのが好きな人種が沢山居たが、やっぱり中央から人が居なくなった。塾で勉強以外の面倒とか引き受けられません。嫌そうな目で見てくれるのが素敵でした。

*4:実際相当言われたらしい。正直申し訳ないような気もするが、私にはどうしようもない。

*5:弟が体弱かったり意思表示が苦手だったりで手間が掛かっていた。妹と妹は普通に兄弟していた。

*6:部屋が汚い→部屋中ものを片っ端から投げて「掃除しろ」とか、「不定愁訴は認めない」で殴るとか、生返事したら殴られたとか 数えだすときりがない。因みに殴られたのは主に私だけで、妹は女だからと言う理由で殴られず、弟は母が庇ったりとか自己主張が希薄だったお陰で滅多に殴られなかった。

*7:テストで五教科平均90点取って来いとか、某有名進学校へ行けとか兎に角過剰なステータスを要求された。まぁ、駄目公立中学だったので90点平均とか普通に取れたけれど。因みに父の最新の要求は「IBMに就職しろ」。何か勘違いしてるんじゃなかろうかと思う。

*8:普段私放置の癖に人の部屋には勝手によく入ってくる両親および兄弟たちだった。なので見られて困るものとか置けませんでした。