愛国心教育に関して

教育基本法改悪反対リングつくりました。

そういえば大昔にそんなトラックバックを頂いたな と思い返して軽く愛国心関連について身も蓋もない私見を纏めてみることに。

国とは何かを突き詰めて言ってしまえば、それは互助団体です。個人はこれと契約することで各種のサービスを受け、対価を支払うことになります。

これを一種のゲームと見立てて、以下を考えます。

さて、ここで個人の行動傾向を国へ貢献をする/国へ貢献しない/国を利用するの3通りに分けて考えます。貢献をする為にはコスト(労力)を余分に投入して貢献を生み出し、利用する場合は逆に貢献を用いて利得(収入)を生み出します。

貢献の値は国がストックするものとし、国が保持している貢献の値が一定値を割り込むと個人の利得が奪われ、一定値を越えると逆に利得が与えられるものとしてみます。

以上を表組みで整理するとこんな感じになるでしょう。尚、数値は便宜的かつ模式的なものです。

行動傾向 利得 コスト 貢献
貢献 +2 3 +1
非貢献 +2 2 0
利用 +3 2 -1
貢献値 効果
初期値 50
80-100 利得+2
60-80 利得+1
40-60 特になし
20-40 利得-1
0-20 利得-2

以上の条件では個人の行動は様々に変動するでしょうが、この状況で一番得するのは貢献値80-100で利用を選択する場合であることがわかります。要するによい環境を食いつぶす形で利用するのが一番本人の利得増加に貢献するのです。

さて、流石にこれではよい環境を維持している人が報われないですし、よい環境を維持できるかも正直怪しいものになります。

と言う訳で、メタプレイヤーである国の出番です。国は貢献値を維持し、利用行動を選択する個人を減らす為に行動することができます。

ここでメタプレイヤーの行動選択肢は以下が挙げられるでしょう。

  1. 貢献行動を取る個人に利得を加算する
  2. 利用行動を取る個人から利得を奪う

現実に即して言えば、前者は税制などでの優遇・補助金などが挙げられ、後者は罰金や罰を科したりする行動に当たります。

つまり、これによりメタプレイヤーである国はゲームに賞罰要素を追加することになります。

例えば賞罰としてそれぞれ0.6ずつの利得を加減するとした場合、以下の通りです。

行動傾向 利得 コスト 貢献 賞罰 最終利得
貢献 +2 3 +1 +0.6 +2.6
非貢献 +2 2 0 0 +2
利用 +3 2 -1 -0.6 +2.4

さて、上記のようになると1回のゲームにつき得られる利得が最大となるのは貢献行動をする個人になります。勿論、最終利得の効率は1を割り込んでいますから効率の面では非貢献に負けることになりますし、そもそもこの程度の罰では利用行動でのコスト効率が最大になっています。

と言う訳で、概ね罰則を強化する事で利用行動をした個人の利得/コスト比を貢献行動を取ったとき未満にしてしまうことで利用行動を抑制する方策は十分実用として考えられます。

しかし、逆に賞与を増量していくのは国の所有利得を吐き出し続けることになり、限界があるでしょう。破産しない為にも賞与は大盤振る舞いできません。

さて、ここで愛国心の登場です。

愛国心のある個人は貢献行動を取ると満足し、利用行動を取ると不満になるとします。同様に普通の個人はどの行動をとっても特に満足にも不満にもならないものとし、反体制の個人は貢献行動を取ると不満になり、利用行動を取ると満足するとします。ただし、性格は変更できないものとします。

以上を纏めると以下のようになります。

行動傾向 利得 コスト 貢献 賞罰 最終利得 満足
貢献/愛国 +2 3 +1 +0.6 +2.6 +1
貢献/普通 +2 3 +1 +0.6 +2.6 0
貢献/反体制 +2 3 +1 +0.6 +2.6 -1
非貢献/愛国 +2 2 0 0 +2 0
非貢献/普通 +2 2 0 0 +2 0
非貢献/反体制 +2 2 0 0 +2 0
利用/愛国 +3 2 -1 -0.6 +2.4 -1
利用/普通 +3 2 -1 -0.6 +2.4 0
利用/反体制 +3 2 -1 -0.6 +2.4 +1

以上を見ると、満足の為にコスト効率を犠牲にしたり、コスト効率の為に満足度を犠牲にしたりといったトレードオフが考えられます。これは個人によって大分ばらつきがあるでしょう。

さて、ではこのゲームに於いて愛国教育とはどういうことかといえばそのまま新規にゲームに参加する個人の性格を愛国よりにすることになるでしょう。これによって貢献行動を取る個人が結果的に増えるので、結果的に国がストックしている貢献値を増やすことになります。

まぁ、以上を考えるならそう悪くないシステムなのかもしれません。上手く回れば。

しかし、これって正直貢献するのに必要なコストが増加した場合社員に自己実現を説いて「自分のやりたいことが出来てるんだから残業多くても平気だよね。寧ろサービス残業も余裕だよね」と言い聞かせて残業させる会社みたいになってしまう可能性があるわけです。それは感情の錬金術みたいなものではないか と少し勘繰ってしまいますね。

ま、何もやる気にさせないような(寧ろ出来る人間の芽を潰す)日教組教育よりはまだマシなんですけれどね…。