その嘆きには訴求力も価値もない

非常に残念なことに、大抵の嘆きには訴求力がありません。

何故か。これは簡単なことです。

多くの人にとって、他人の嘆きなんてものは基本的に時間的精神的リソースを割いてまで聞く価値のない代物だからです。何故価値がないかといえば、誰だって嘆きたいし嘆きを聞き入れることは苦痛だからです。だからこそカウンセラーは商売として成立するのです。

つまり嘆きを誰かに聞いてもらうには、訴求力があるか 聞く相手に対して価値あるものであるかが必要になる訳です。

さて、訴求力のある嘆きには、次がの条件が要求されるでしょう。

  1. 聞く側から見て、嘆かざるを得ない状態であるか既に手は尽くした後である
  2. 嘆く以上の意図がない
  3. 共感可能である

順に見てみましょう。

1.聞く側から見て嘆かざるを得ない状態であるか既に手は尽くした後である

聞く側からすれば、嘆きが妥当かはかなり重要な問題です。基本的に他人の嘆きなんて聞きたくないのですから、嘆きを聞くなんてのは最終手段であって欲しいのです。ですから、まだ試していない手段があったり解決への努力を放棄しているような状態の人間の嘆きは聞く側にとって見ればただの埒の開かぬ愚痴なのです。その時点で相手に聞かせるだけの力は持っていないと考えて然るべきでしょう。

尚、問題とされるのは聞く側からみて理不尽でないかであって客観的に見て理不尽か否かはこの時一切問題にならないので注意です。と言うわけで体育会系根性で全て解決だ ってな人間相手に愚痴を吐いたり嘆きを呟くのはお勧め出来ません。何しろ彼らにとっては貴方の嘆きは妥当でないものに写るかも知れないからです。いくら憔悴していて余力がなかったとしても、嘆きを聞いてもらう相手は選ぶべきです。

2.嘆く以上の意図がない

利用することに対しては何も感じない人でも、騙されるのは嫌いなものです*1。聞く側の共感や同情がそれ以外の意図に利用されたと思われてしまうことは、騙された 裏切られた と言った方向へと考えが及んでしまうものです*2

聞く側からすれば、嘆く側は平身低頭二心なく嘆いていなくてはならないのです。何しろ本人にとって興味のない話をされた挙句、徒に共感を煽ったり*3、暗に何かを要求してみたり、思考を誘導しようとしてみたりするのが発覚すれば*4、聞く側はそっぽを向いてしまうでしょう。

とにかく、誠実に見えなくてはなりません。本心がどちらにあろうと、そのような疑念を抱かせてはいけないのです*5

3.共感可能である

共感は訴求能力を増します。話す側も聞く側も、この不毛な行為を通じて共感を求めていると言っても過言ではありません。寧ろ、共感不能の嘆きは嘆きの内容に対する疑念を煽る可能性が高いので危険といえるかもしれません。

と言うわけで、なるべく話をするなら共感してくれそうな相手を選ぶべきでしょう。下手に失敗を乗り越えたことを矜持としている人間はこの場合相手として向いていません。何故なら、「自分も苦しんだのにお前だけ楽になろうとしてる」とか「俺だって苦しんだんだからその程度で根を上げるのは許さない」といった攻撃的な対応をされる可能性があるからです。

また、聞く側の傾向として自分の等身大と共感したいのではなく自分を一回り拡大した存在を基準に共感したがる者も居る*6ので、そのような傾向が見えたら嘆くのはやめて会話を打ち切るか建設的な話をすべきです。相手は貴方の嘆きには全くと言っていいほど興味ありません。

さて、以上を見る通り、そもそも嘆きを打ち明けるというのは相手側からしてみれば非常に不毛な行為です。何しろ行為単体では得るものがないですから。と言うわけで、相手にリソースの浪費を強いるにはその行為に何がしかの価値が必要になります。

ざっと見ればこんな感じでしょうか。

  1. 自己満足
  2. 関係補正
  3. 今後の代償

1.自己満足

上記3つの中で一番無難である意味一番危険なのが自己満足です。

無難な例で聞いてくれる相手は基本的に善良なので放置するとして、危険な例としては「こんなしょうもない話聞いてやるなんて俺いい奴」等が代表されるでしょうか。

この場合、相手は「聞いてやっている」というのが前面に押し出されているので非常に面倒です。相手の機嫌を損ねないうちに適当に切り上げないと、埒の開かない正論尽くめのお説教を始めてしまうでしょう。

あと、共感可能である でも述べましたが等身大の貴方には興味がない場合が殆どですので、その辺は割り切っておきましょう。

2.関係補正

「友達だから」などに代表されます。基本的に自己満足の変形です。

友達としての義務を果たしたら切り上げるってなパターンも多いので余り当てにしてはいけません。そういう相手には深い話をしている風に見せかけて距離を取るほうが無難かもしれません。何にせよこちらの都合やらを無視するようならお友達かどうかを一度疑うべきかもしれません。適当にあしらいましょう。

3.今後の代償

一番打算的です。

愚痴とか聞いてもらうと好感度って何だかんだで上がるので、それを狙って今後便宜を…と言う打算込みで話を聞くパターンです。まぁ、代償を勝手に期待してもらう分には害はないのですが…稀に期待されたとおりの代償が支払われないと不機嫌になる出来の悪い輩も居るので注意です。善意の押し貸しとも言いますね。

まぁ、露骨な打算でない限りは、押し貸しされるだけの何かが貴方にはあるということなので、それは素直に誇ればいいんじゃないかと思います。

以上、愚痴を吐いたり嘆きを吐露したりと言う行為にまつわる不毛さを書いてみました。何と言うか、改めて自分の周りが不毛なんじゃないかと再認識しました。

まぁ、4時間愚痴に付き合って「君が彼氏でよかった」とか言ってたくせにこちらが1時間愚痴吐いたら「は? ナニソレざけんな」といってくる*7ような相手と延々付き合ってたくらいには実際不毛な人間関係体験してる人種なので、うわぁ寒いなぁこいつ 程度に思ってくれれば幸いです。

嘆きを受け入れてくれる人が居る人は幸いです。受け入れてくれる人をどうか大切にしてあげてください。

私個人としては訴求力確保のために演出するのにも疲れたし投入労力の割に報われない感満載なので、Blogの外では今年一杯は嘆きは隠蔽して生きて行こうかなと思います*8

*1:寧ろ 利用する/される にこだわる為、人を利用しようと意図している人間の方が騙されることに嫌悪感を感じることも多いのだが

*2:Blogとかがいきなりアフィリエイト始めると叩かれるのは要するに利用されたと思うからだろう。

*3:例えば、「私は悪くないよね? ね?」とか。

*4:発覚しなくてもそう勘違いされてしまうと結果は同じだが

*5:寧ろ利用しようと思ってそのての話をするなら、それこそ入念に騙し通す必要がある。

*6:要するに自分より一回り大きい存在へ共感することで自己満足を図りたがる

*7:少なくとも私の主観では両者の質的問題は大差ないように思えた。あくまで主観だが。

*8:Blogにも書かないといわない辺りは私の弱さである