平凡なものは難しい

競合がたくさんひしめく場所では、そもそも単体としての「すごさ」なんて、数に隠れて目立たない。平凡であっても、たくさんのプロダクトを生み出して、自分の居場所を「ここ」と宣言しない限りは、その人の「すごさ」は伝わらない。

世の中にある「すごいもの」というのは、「たくさんの平凡」を生産している人が、たまたま作った質の高いものでなければ、たぶん「競合者のいないすごい場所」で初めて生み出された、「平凡なもの」なんだと思う。

「平凡なものをたくさん作る」- レジデント初期研修用資料

引用は私の恣意がかなり入っているので各自オリジナルを参照していただければと思います。大昔から話書いたりあれこれやろうとしてはしくじってる身としては色々つまされる話です。

プロダクトを話に限定しても、平凡なものってのはやはり難しいのです。あと、たくさん作る事だってそれ自体非凡なことじゃないかなと思います。…いや、寧ろ平凡な話を書くのは難しいものなのですが。

「競合者のいないすごい場所」を見つけられるならそれに越したことはない*1のですが、それが誰にでも出来るなら苦労はしません。

てな訳で、平凡な人間として平凡に考えて平凡な話を書くとしましょう。

とは言え、平凡なものって難しいのです。平凡だけに飽きられやすいですし、飽きられないためにはそれこそ工夫が必要です。まぁ、だからこそ描写だとか空気の作り方だとかキャラクタの掘り下げ方とか凄い勉強になるのも確かなのですが。丁度絵画におけるデッサンみたいなものかもしれません。要するに、抽象画とか現代アートだとか印象派だとか御託並べずに、いいからお前はデッサンしてろよ って話ですかね。或いはいいから鉄砲が当たるまで撃ってろ ってことなのかもしれません。

とは言え、人間そんなに無心に打ち込める高尚な人ばかりじゃありません。手持ちの手札で今すぐ評価されたいとか、そんな邪念は簡単に入ってくるのです。と言うか少なくとも私はそんな人種の側です。平凡な(ともすれば出来の悪い)作品を量産して「駄作作ってんじゃねーよ」とか延々詰られ続けるとか非常に勘弁していただきたいものです。

となると、手持ちの手札で「おーすげー」となるような物を書こうとするわけですが、当然そんな思考に入り込む同業他社はそれこそ山の如しです*2。と言うか物書きなんて自分をエキセントリックな存在と「思いたい」人種*3なので、出力もそれを偽装してしまうのです。で、出てくる結果は…典型的な痛い話となる訳です。中身もないのに個性を主張する人間は、悲しいかなどう足掻いても没個性的な結論に落ち着いてしまうのでしょう。

…と、困ったことに凡百には凡百に収まるだけの理由があるね、ということを再確認するだけになってしまいました。老子じゃないですが、「将に之を奪わんと欲すれば 必ず固く之に与う」としなくてはならない訳ですね。投機で儲けるためには金への欲望を捨てろとか、そんな格言に近しい気がします。

お説御尤もではあるのですが、中々難しいものです。

*1:実際問題最初期のSFとか現代から見ると「おいおいおいおい」と言いたくなるような内容が沢山あります。でもそれらは古典として評価されています。

*2:ということにしておいてください。でないと私が悲しみます。俺は違うぞ、と言う人は是非こんなところにコメントしてないで製作に打ち込んでくだされば幸いです。

*3:真にエキセントリックではない点は重要。少なくとも私にはその傾向があったし、今も少なからずある