2006-02-26から1日間の記事一覧

神の正気は誰も担保しない。神すらも。

そもそも、神なんざやってて正気で居ることが既に狂気に含まれるかもしれない。神が正気でなくては困るけれど、正直神が正気であるかを知る術は無いと思う。神が正気で居て欲しいという願望も含めて、祈りは成り立っているのかもしれない。

哲学書への多分オーソドックスでない向かい方

哲学書を作者に合一するつもりで読めと主張する人が居るけれど、それでは哲学書に飲まれて溺れてしまうと思う。まぁ、作者に飲まれるつもりで読めという発言の成れの果てが哲学者学なのだろう。それはそれで有用なのだけれど。丁度作曲家の魂を憑依させる事…

初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。

タイトルは聖書からの引用。どうでも良いけれど、実はブックマークの無駄に長いタイトルはこれのラテン語文だったりする。それだけ。世界を認識でしか見ることの出来ない私たちにとって、言葉とは世界の構成要素の実体であり世界そのものだろう。語りえない…