哲学書への多分オーソドックスでない向かい方

哲学書を作者に合一するつもりで読めと主張する人が居るけれど、それでは哲学書に飲まれて溺れてしまうと思う。まぁ、作者に飲まれるつもりで読めという発言の成れの果てが哲学者学なのだろう。それはそれで有用なのだけれど。

丁度作曲家の魂を憑依させる事に心血を注ぐピアニストのようなものだろうか。

それ自体に捧げる情熱は否定しないけれど、原典作者に傾倒しても精々代弁者になれるか思考停止した取り巻きになるかだろう。

取り敢えず、個人的独断と偏見によるならば、哲学者学関連書籍なんてのはどーじんみたいなものだと思う。

という訳で、哲学書を読むなら論破する為に読むか流し読みすることを推奨する。さながら新聞でも読むかのように。まぁ、新聞読むほど気楽には読めないけれど。哲学が世界に関する認識の体系である以上、原典作者の見解は体系案その1に過ぎないのだから。

  1. 有難がって読むな
  2. 作者崇めるな
  3. 考察プロセスをよく読め
  4. 敢えて一般化することを考えろ

まぁ、こんな感じで読んでいれば哲学者学しなくて済むと思う。