非難について

算術師です。



2件のエントリ作成は無謀だったようです…。

遅筆な私が2エントリ作成終わったその時日付が変わっていました。



進化についての続きは遅くとも明後日(明日はサークルオリエンテーションで1日動けない)以降の今週中にでも書き上げたいと思います。



思った以上に範囲の広い学問で正直困惑気味なのですが、可能な限りの考察をしたいと思います。





さて、ネタの提供元としても結構お世話になったSNMRさん
ところのBlogのコメント欄が凄いことになってたらしく(その時期風邪で倒れてたので詳細は知りません)、その騒動に関連してdemianさん
こんな記事
を書いています。



私なりに簡単に要約すると匿名で批判(私個人の見解では非難に近い)する人たちはコンテンツ作成する側から言って破壊的な勢力になりやすいので慎むか規制されるべきではないか、また何故このような批判を行ってしまうのかについて考察されていました。







色々思うところはあるのですが、今回は何故ネットでの非難が攻撃的になるのかについて考えたいかと。 さて、今回の状況を実社会で考えるとこんな感じだろうな、と思います。



ある男が仕事で単純ミスで失敗をやらかしました。

災難だったな、何やってるんだよ、と同僚は言います。



そんな中、同僚の一人がこう言います。

この同僚は数ヶ月前に同じ失敗をやらかしていました。

「お前、それ原因わかり切ってるだろう? 詰が甘いだけじゃないか」と。

非難した人物の言い分が正しいだけに彼は何も言えません。



非難者は何も言えないのを見て、更に非難します。

「注意力が足りないからそうなるんだ。もっとしっかりしろ」と。

彼は項垂れたままです。



非難者は満足して更に言います。

「大体な……」

彼は「お前が言うな」と言って非難者を殴り倒しました。



男は会社を辞めることになりました。



実社会でも周囲の制止さえなければ無くは無さそうな状況だと思います。



さて、何故非難者は自分の非を棚に挙げて非難してしまうのか。そして非難を止めないのか。



理由は簡単です。

非難は快感だからでしょう。



実際気分が良いものです。自分が正しいことを言ってる、と言うのもありますが明らかに自分に非がある状態で非難されると大体の人は強く出られません。それでなくても反省している人は精神的に萎縮しています。強く出られないと言うことは、非難する側からすれば精神的に優位に立てると言うことです。精神的に優越感に浸ることは、多くの人には快感であるでしょう。自分が同じ非を持っていたことなんて、この優越感の前ではもう霞んでしまいます。精神的に優位に立てると認識すると、相手を虐げてもっと優位に立てるでしょう。



後はもう循環です。その人の満足いくところまで止まりません。



判りきったことに対する説教と言うのは実際問題、やられる人間の反省だとか更正だとかよりやってる本人の自己満足が実際問題大きいのだろうと思います。



中学校だか高校だかの朝会での生徒指導の説教(ナニソレ? って人は校長先生のお話にでも差し替えてください。校長先生のお話が退屈でなかった場合は、あなたは幸せな学生してたと誇って良いです。)がやたら退屈なのは、結局話す側が優越感に浸ってしまって内容の吟味から聞く側を無視した方向に行ってしまっているのだ、と私は思います。



ネットでの匿名非難問題に話を戻しましょう。



ご存知の通り、ネットでは相手の顔も肩書きも思惑も一切遮蔽されています

まぁ、この点に関してはdemianさんの記事
でも記述がありますが、要は相手の状態を推測する為に普段用いる要素がかなりの勢いで欠落している訳ですから、配慮が雑になってしまうのだろう、と。



何故匿名で非難するのかは正直色々あると思います。例えば、

・名前考えるの面倒

・普段から「名無し」でやってるからそれで良いと思っている

・非難する人間が名前出す必要あるの?

・単純に名前出したくない

こんな感じでしょうか。



まぁ、匿名での批判はするんじゃないと言うのは、正直余り高圧的に言われると良い気がしません。

「そこのお前、制裁してくれるから今すぐ名を名乗れ!」と言われているようでそれもまた不快です。

(中学の時にえらそうに退屈な説教して満足げな教員(説教の内容は忘れた。但し、かなり当時の私からしてみればどうでも良かった内容のはず)に「退屈な奴」と言ったら「名前とクラスを言いなさい!!」と噛み付かれたっけなぁ…。自分に非も感じなかったし、名乗って利益も無さそうだったので名乗りませんでしたけど。懐かしい思い出です。二度と遭遇したくない体験ですが)



まぁでも、匿名だろうが何だろうが非難すると言うのは要は後考えずに言いたいことを言い、優越感に浸りたいのだと。匿名の場合敷居が引きだけです。



非難は相手のためではなく、自分の不満だとか不快感だとかを相手にぶつけて優越感とか満足感に昇華させたいのだろうと思います。私の昔話の例もそんな例ですしね。



実社会でもやってしまいがちな「わかりきった説教・非難」と「ネットでの匿名非難」についてはこれで終いにして最後に少しだけコンテンツ作者に対する非難について。



正直、批評は兎も角非難はやって欲しく無いですね。

殊に生産性の無い罵倒は

非難して優越感浸りたい人はこの記事
とか読んで欲しいところです。正直、ボロクソに非難する人間相手にコンテンツ作成したい人間なんてそうそう居ません。居るとしたら余程の自信家か、ただのマゾです。



気に入らなきゃ見なければ良いのです。それだけです。



なので、批判をするなら生産的に。非難は相手が反省していない時だけにしましょう。



それで充分だと思います。